持て余した霊感を使い果たすブログ

私が私の物語を創るように、あなたにもあなたの物語ができますように。苦しみも喜びもひっくるめて世界は美しいかもしれない!

愛は愛でも毒する親。毒は毒でも愛する親。

親。それは血と愛情で切っても切れない関係性。

愛しているからこそ、親はたまにしんどい。

 

最近は「毒親」という言葉が巷にあふれている。

 

親が「愛」だと思ったことが子にとっては「毒」になることもある。

それがいつか時間を経てお互いにゆるし合えたら、いいけれど。

 

相手が苦しんでいることに気付いていながらも

「自分は間違っていない!」と相手に向き合わないことが最たる「毒」だと、個人的に思う。(それはなんか、親子だけの問題でもない気もするけれど。)

 

苦しむ子どもたちは、

毒的な親と適切な距離を取るべきであり、

遮断できるような努力をしなくてはならない。

 

だからそのような人に「親を大切にしなさい」と言わないで欲しい。

充分に一生懸命大切にしてこの結果なんだから。

 

一方で、「親を悪く言う」=本音を知るように

・分かち合う

・書き出す

・吐き出す

ような動きも大切だ。

ただその時に伴う彼らの「罪悪感」にどうか寄り添って欲しい。

そんな働きが少し少なく感じる。

 

たまに毒親との関係性をばっさり切るような言葉を目にすると胸が痛い。

「捨てなさい」「見切りを付けなさい」「嫌いになりなさい」…

それができたら子どもたちは容易に親元も健やかに出ているのだ。

棄てても捨てきれない愛着があるから、子どもは苦しいのだ。

 

だから、罪悪感がある分、あなたは優しくて、その優しさがある分、これから出会う他人をまっとうに愛せる力を持っているんだよ、と伝えて欲しい。

ばっさりでもなく、優しく線を引く力すら持っているんだよとも伝えて欲しい。

そして、それはだーーーーーーれも傷つけないとそっと伝えてほしい。

 

罪悪感を持っているだけで「向き合う力」がある。

だから毒親の元で育った人はこれから先の困難に向き合う。向き合える。

どうかその罪悪感を少しでも誇って欲しい。

なかなか持てるものではないから。