わたしたちは弱くて美しいよ
悩んだ時に友人に相談する。
その時になんとなく私が大切にしているのが
「どうやって乗り越えるか」ではなく
「どうやって悩み抜いて自分なりの答えを出したか?」ということに少し視点を置いて聞くようにしている。
もしかしたら音楽を聴く時も、
作詞者がどんな答えを出すのか気になっているから、歌詞カードを読みまくるのかもしれない。
仕事で悩んだり人間関係で悩んだり、悩みは尽きないけれど、
同じように悩む近くの人に「どうやってその中を生き抜いているか?」聞いてみると、
案外、みんな弱いことに気が付く。
私は自分だけがとても弱いと思っていた。
いつも体調は悪いし、悩みまくる。
罪悪感を原動力に動き、生き急いでいる。
先々のことや、走馬灯の中身のことまで悩む。めんどくさい。
そういう時に、少し親しい人を頼ってみる。
自分の弱さを通して、相手の中身が光って見えるから、
私の弱さは、消極的ではあるけれど少し宝物でもある。
たくさんの人のお話を聞いて、どんな風に生きて努力されているのか聞いてみると、
案外意外とみんな弱い、と気付いた。
みんな少なからず、100%いいね!の選択肢を選んでいないし、
こういう風にするのが何となくいいのかな、少し胸痛むけど、と、
かさぶたをめくっては剥がし、そこが新たに美しい皮膚になるような生き方をしていることを知ることができた。
私が自分の弱さをオープンにすると、
私の弱さはなんとなく温かみとなって、相手と溶け合う気がする。
きっと私が弱くなければ出会えなかった相手の強さに出会うことができるから、
少しだけ、弱くて良かったと思ってしまうことすら思う。
私の弱った心は、相手が積んできた努力と誠実さで、しっかりとしなやかに成立する。
反対に、悩んでいる人に相談される時もある。
そんなときに私は自分が現在出している答えみたいなものを伝えてみる。
別にそれを取捨選択してもらうのは相手次第だけど、
私が今までの道のりを生き抜いてきた努力は、相手を通して反映される。
きっと目の前の相手の反応が「うわわわわわわ✨」ってすごい時に、
私が重ねてきた努力の質と量は計られるのではないか、と思う。
内容はどうであれ、心に響くものは否が応でも相手の心を動かしてしまうから。
心だけはどうしても、お金じゃきれいにならない。