持て余した霊感を使い果たすブログ

私が私の物語を創るように、あなたにもあなたの物語ができますように。苦しみも喜びもひっくるめて世界は美しいかもしれない!

夏が来た。


夏が来た。


「人生の夏休み」と称される学生の夏はどれほどの人が味わえるのだろう?


私は「人生の夏休み」は死んだ後だと思っている。それほどに生きることは、休みのない期間である、としか思えない。



そうは言えど今この瞬間に、ここ最近の夏について思いを巡らす。



衣食住がままならなかった夏もあれば、勉強に勤しんだ夏もある。夏の闇夜は美しい。それを知ったのは少し落ち着いたあたりの夏。


「目の前のことに一生懸命になれない」のが私の性である。要は、昔のことや先のことばかり考えて、「今」は忘却の内に存する。私にとって「夏」もそのようなものである。


でも一つだけ、「今」を生きた「夏」があった。


水面で何にもに抗わずに流れるあめんぼのように、何もかもが分離したある夏に、私はどうしても木に捕まりたくて、一人の人間を頼ってしまった。


私は新たに、何にも抗わがないあめんぼになるために、水面上の航海に出たが、一瞬、あの木に捕まってしまったことは私の終わりであって、不幸であり、そして最大に幸福だった。


今も木に捕まってたら私は不幸だったはず。でも離れたらとても幸福だったことに気付いた。



こうやって今も、「過去」を生きている。私にとって夏はまだ来ないかもしれない。死んでも。