持て余した霊感を使い果たすブログ

私が私の物語を創るように、あなたにもあなたの物語ができますように。苦しみも喜びもひっくるめて世界は美しいかもしれない!

壁に小さな穴を見つけた。最近模様替えをしたばかりで、以前までは棚の影になって見えなかった白い壁に、シミにも見えるような穴があった。それは二つ並んでおり、左側が大きめ、右側がほぼ汚れのようなものだった。穴と言っても1mmにも満たない穴。


この穴を巡って思いは飛躍する。


まずは安全面の問題という現実的なものである。



今の世の中は危険が多い。盗聴の穴かもしれない。ここの「住人」の生活模様全般が見るためには、ちょうどこの付近に穴を開けるのが良い。



今日はいる。今日はいない。今日は早い。今日は遅い。今日は歌ってる。今日は洗濯干している。今日は読書をしている。又吉直樹のファンらしい。今日は笑ってる。今日は泣いている。今日も泣いている。今日も泣いている。泣いている。泣いている。むせている。




また、飛躍する。


次は過去の問題である。


前の前くらいにここに住んでいた男は売れないロッカーだった。


小さなライブハウスでまばらな客を前にド派手にロックを披露する虚しさをいつも酒で呑み込んでいた。


何処かも分からない飲み屋で出会った女を持ち帰ってきたこともある。持ち帰った自分が悪いが、そそくさと朝に帰る女にいつも腹を立てて、壁にメリケンサックで穴を開けていた。


その日もひどく、客は2人のライブの帰りに汚い飲み屋で飲んで、一人の女を持ち帰った。ただ、その女は他の女と違っていた。部屋に入るなり穴だらけの部屋を見て、泣いた。泣いて、どうしてこんな状態になったのか聴きたい、と乗り出した。嘘ではないその目にロッカーはこの「穴」の経緯を話す。


カーテンから光が差し込む頃にはロッカーも泣いていた。女の首から下がるひとつの十字架が朝日に照らされて光る。


この女はしばらくロッカーと過ごしたが三年経った日に「親元に帰らなければならない」と言ったまま戻らなくなった。ロッカーはその時、もうロッカーではなくてサラリーマンなんかになっていたけれど、再びあの時のように虚しくなった。ただ一人部屋に佇み、昔よく使ったメリケンサックを持ち出して壁に叩きつけようとしたが、初めてこの女性と会った時に見た彼女の涙と首から下げる十字架を、はっと思い出し、壁に強く打ち付けることができなかった。微量の力で付けられた穴は、今までで一番小さい穴だった。


その後、彼女が「しすたー」とかいう者になったと彼は聞くことになる。





穴への考えは再び飛躍する。


前の前の前に住んでいた住人は3人家族だった。生まれたての赤ん坊は、よく笑う快活な子供だった。


夫はある時、単身赴任になり、妻と子供だけになった。赤ん坊は泣く事にも快活で、夜泣きが止まらなかった。苦情が来る。旦那はいない。妻は孤独だった。


少し赤ん坊は大きくなると、首も座り、物を持てるようになった。子供が持つフォークは3本槍ではなく、プラスチックで出来た2本槍のものだった。快活な子供はその2本槍で壁を刺した。「敷金....」と妻は思ったが、微笑ましかった。それを写メにして夫に送る。夫が喜びの返事をする。子供が2歳半になった時の話である。


おばあさんになった妻は、今は一人で暮らしている。子どもは立派な大人になり、新たな命を育んでいる。つまりは孫ができた。しかし夫は数年前に病で亡くなった。しかし妻は壁にあるあの穴を見るたびに、夫と出会い、子どもを授かり、立派な家庭を築いたことを誇りに思った。妻は全く孤独ではなかった。数十年前に開けられた穴は、このおばあさんに「一人ではないこと」を教える。


....



私の考えは飛躍したあとに元の地点に戻ってきた。


今この部屋に住んでいるのは私。その私はこの穴の上に小さなシールを貼る。


この穴から覗く誰かのことを思うと、くっと胸が苦しくなった。


もう既にこの穴は、私の頭の中では、多くの人の穴、多くの人の「心」になっている。





飛躍しすぎ。