持て余した霊感を使い果たすブログ

私が私の物語を創るように、あなたにもあなたの物語ができますように。苦しみも喜びもひっくるめて世界は美しいかもしれない!

さよならを悲しいと思える人がいる

私が専攻する分野の授業や、それに隣接する科目の中には多くの愛の概念が入ってくる。

宗教においても心理学においても、対象が何であれ、それを想い、待ち、慕い、共に高みを目指そうと自然に湧く気持ちは大概、愛という言葉に集約される。

時にベッタリくっついてイチャつく
カップルも、周囲は白けるが、彼ら
は彼らなりに精一杯愛し合ってい
る。(ただ道に広がって手を繋ぐのはやめて)

私が常に持っているものは、愛そのものが完璧であるため、人に甘い味も苦い味も経験させる力を持っていることへの驚嘆と、愛する対象がそばにいなくても「愛することそれ自体」の脆くて美しい体験価値への感動である。

それを教えてくださったのが、西加奈子さんの「さくら」。

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三兄弟の真ん中の男の子を主人公とする、家族を中心とした愛の話である。この作品の中の愛は少々マイノリティに位置するものだが、そんな意識をはるかに凌駕する作中の「人が人を想う美しさ」は強烈で圧倒的である。



ちょうどこの本を紹介された時、私
は大切にする人、すなわち愛する人を数人、同時に失った時だった。(死に別れではないが、巷の簡単なオワカレじゃなくて、わりと重大な関係性における別離でした。)

この時ほど、愛することについて考える機会はないんじゃないか....と思
うほどで、私は相当ボロボロだっ
た。

この世には相容れない論理、不条理で抗えない現実があるものだと悲しくて悔しくて、アルバイトと勉強で気を紛らわせて、隙間の時間には椎名林檎の曲を爆音で耳に流し込んだ
り、無駄に一人でカラオケに行ったりしいた。けれど悲しみはずっと追いかけてくるから隠れようとして、人がたくさんいる新宿駅まで歩いて、あの独特な毒っ気のある空気
を纏って初めて息ができるほどだった。けれども人が多くても余計に悲しかったりもした。

この時に出会った文学は私の支えであり、その中でも「さくら」はダントツだった。

ネタバレになるから全部は書けないが、「さくら」は、端的に愛する人の死が題材の作品である。しかし、私がこの作品に感銘を受けたのは、死別の悲しみよりも、それに打ち勝つ、誰かを想う愛の強さ、有限的な
人間が持つ誰にも奪うことができない「目に見ない永遠性」が儚くも美しく描かれていたからである。

今までは、隣に大切な人がいるからこそ、愛することに意味があると思っていた。

でも実は愛することはそんな直接的
なものではない。

たとえその人と一緒に暮らせなくなっても、声を聞くこと話をすること笑い合うこと、そして二度と会うことがなくなったとしても、愛した事実そのものに意味があること。それ
が愛だとしたら、〈お別れ〉をこれほど悲しむことができる人に出会えたことって、ものすごく幸せである、ということに気が付くことができた。

それから私はカラオケや新宿に無駄に行かなくてもなんとか普通に生きられることができるようになっていた。椎名林檎の歌う歌詞を懐かしく思えるようにもなっていた。


愛は完璧。
だからこそそれは皮肉にも人がそこに肯定的価値を見出すために、悲しみも持ってくる。

でも、悲しみが大きい分、得た愛は
計り知れない大きさで私たちを包む。

西加奈子さんの作品は、この世の悲しみや苦しみが実のところ、とどのつまりは単純に「愛」に集約することを教えてくれる。


私は今日も「月が綺麗だ!」と思ったことを、言葉を介して一緒に共有することができなくても「見ていて欲しいなぁ」と願う人がいる🌝

もうそれだけで私は充分幸せで、いつか訪れるさよならの悲しみに打ち勝つ強さをひしひしと感じていられる。


🌸「さくら」は恋する人、家族が大切すぎて苦しい人、犬が好きな人に特に読んで欲しいです!