ぷしゅーっと
歴代の小説家が文学に残した孤独と私の孤独を混ぜて爆ぜさせてくれないか。
月に勝ち犬
多くのものやお金を削いで、資金を貯めなきゃいけない。
今の生活全般費。
過去の学費。
未来の学費。
なるべく暖房もつけないで、凍えるような寒い冬を越えて、ようやく今日、春のにおいのする風を感じた。
貧乏と言われれば、そう、としか返せないような今の生活だが、それからお金そのものや、お金以上のものにうんと温かさを感じるようになった。
たった一駅の電車賃でさえ高い時は何キロと歩いた。だが、電車では見えない景色やお店を見つけることもできた。
はぁはぁして歩いてきたり、必死にアルバイトをやっていたら、たまにオマケなものを頂いたり、新しいお仕事の話をうまく回してくれたり、何より「ありがとう」と言われることが増えた。
私は生きる上で「誠実さ」を一番大切にしている。
生まれてこのかた、この誠実さはズタボロに砕かれてきた。誠実さがある故に、苦しみが多い時がたくさんあった。それでも私は誠実さを捨てない。
最近になり、やっと誠実さに結果が見えてきた気がする。
クソ高い電車賃やクソ高い野菜などに腹を立てなくなった。そして、クソ高い電車賃の裏にある徒歩の楽しさ、クソ安い食品店を見つけて美味しく料理する喜びや
働くことで得られるお給料は勿論、そこで出会う人々にもらえる笑顔を得られる嬉しさを
身に染みて感じるようになった。
私が私に初めて「誠実」になった時、私は今までの自分の誠実さに感謝した。
ズタボロになっていたあの頃も含めて。
椎名林檎さんの曲に「月に負け犬」という曲がある。
♪この花は絶えず流れ行き ひとつでも
浮かべてはならない 花などがあるだろうか 無いはずだ 僕を認めてよ
♪いつも体を冷やし続けて 無言の季節に立ち竦む 浴びせる罵倒に耳を澄まし 数字ばかりの世に埋まる
大衆に埋もれ、『私』が無くなる悲しみに、勝った気がする。吐く息が熱くなっていく。
ふぇあ。
小学生の時に配られる通信簿。
国語算数理科社会体育図工....いろいろな教科の評価の横に「人として」の評価を記す場所があった。「明るい」「リーダーシップ」「思いやり」....教科だけでは測ることのできない”人間的要素”を評価するものだった。
小学生ながら「浅はかな教育理論だ」と思っていた。○○市教育委員会の励まし程度の評価基準など子どもが一番に見透かすものなのに。そして何年生かの途中からその欄は消えていたように思う。
私には毎年、毎学期、必ず「公平さ」の欄に○がついていた。しかも◎だった。先生が毎年変わっても、必ず「公平さ」が評価されていた。
差別が嫌いだ。小学生の年齢でも、人は人を下に見たり上に見たり、平均値を探して安定する術を身につける。クラスメートがそんなことをしてお互いを傷付け合うのが大嫌いだったし、声にならない「不公平さ」をいつも心にグサグサと感じていた。
だから私は常に「公平」であろうとした。ジャッジの目を捨てることに長けていたし、「不公平」の空気があるところに、すかさず飛んで行っては仲介やら話し合いを行って、斜めになる天秤を真っ直ぐにすることを行った。
でも私は「公平」であることを望むことよりも、「不公平」であることを懸命に治すことが大事だと思っていた。
そして、「公平」にすることこそが「私」にしかできないことだとアイデンティティを確立していた。
私が初めて見た「不公平」は両親の間に生じていたそれだった。父にも幸せでいて欲しかったし、母にも幸せでいて欲しい。二人が「公平」でいるためには子どもの私の助けが一番の特効薬だった。
私の助けが「公平さ」を生む。父の涙、母の汗。それを笑顔に還元するためには、私は自分を下げてでも二人の「公平さ」を守ろうとした。
私が家庭内で生き残るためには、家庭の「公平」を生むために走ること。その時、私はうんと「不公平側」にいた。子どもの私は「公平」を望むにはあまりにも小さすぎた。
自分を「不公平」な場所に置きながら、他者に「公平」をもたらすことは思いっきりな不公平で、結局「公平」と「不公平」の区分は曖昧模糊なままになってしまった。
誰かが公平をゲットする時、誰かが不公平の道に入る。そんな矛盾があるとしたら、世の中はなんてアンフェアなんだろう。
それでも私はジャッジの目を持たない。善悪で判断したら、悪者とされる者の痛みが無視されてしまうから。
人は持ちつ、持たれつ。完璧な「公平」なんて無いのだから、私はやっぱり誰の味方にもならない、敵にもならない、最小限の「不公平」を目指してアドボカシーするのだ。
評価は×でいい。
あなたが苦しんでも
答えは自分で出しなさい
子どもは親の言うことをどこまで聞けば良いのだろうか?
モーセは言う。「汝の両親を敬え」と。その両親が敬うに値しない存在だったらどうする?
神様が言うことが全てひとの心に適応できる、なんて無理なんだ。
家を出てきてから2年経った。
なんの契約もなく家を出てきた。
世間はそれを家出というかもしれないが、確かにそれは家出だった!
紆余曲折を経て今日でその時から2年経つ。
私が苦しんで苦しんで家を出たって世界は変わらないし、変わるのはほんの私の周りだけなのだけど、私から見れば世界は丸変わり。世界なんて、結局は、それぞれの〈私〉の主観なのだ。
きっとこんな苦しみに答えなんか無い。けれど、求めるならば私は自分で答えを出す。
私の物語は私にしか書けないものだから✏️
きっと今日も新宿は豪雨。晴れてても!
真ん中通るは中央線
椎名林檎さんのファンなのですが、彼女の作品の中に『メロウ』という曲があります。
PVも儚げで虚ろげ。
ベースやギターの音も最高。
でも私が一番この曲に惹かれたのは詞の冒頭。
「橙色は止まらない 黄色を探して乗り込め」
という歌詞です。
東京に住んでいる人ならこれらの色が指す電車を知っているはずです。
橙色=中央線
黄色=総武線
を示しているようです。
この曲に出会う数年前、私はこの電車をよく使っていました。特に後者の方。
「オレンジじゃなくて、黄色に乗るんだよ!」と何回も言われて着いた駅。
中央線が止まるのは主要駅。
黄色が止まるのは主要駅と非・主要駅。
非・主要駅に住んでいた人がいて、その人に会いに何度も黄色い電車に乗っていました。
お世辞にも綺麗とは言えない駅だったけれど、夕方も夜中もビルの光が綺麗に反射するためだけにあるようなその駅は、今日も存在していて、その駅に住んでいた人も今日もどこかに存在していて、私はその人に
「オレンジじゃなくて、黄色に乗るんだよ!」って
もう一回言ってもらいたかったりする。
オレンジの電車を降りて遠回りしてその駅まで歩くこともあって、その道もお世辞にも綺麗とは言えないような小道だったけれど、
私にとっては世界一の小道だったりする。
「オレンジじゃなくて、黄色に乗るんだよ!」ってもう一度電話越しに聴きたいなぁ。
その人はそんなこと言ったことすら忘れちゃったりしてそうだけど。
林檎嬢が代弁してくれているから私は、笑顔で黄色い電車を見過ごせているけれど。
生きているうちにそんな駅や電車が一つくらいあってもいいじゃない。
夏が来た。
夏が来た。
「人生の夏休み」と称される学生の夏はどれほどの人が味わえるのだろう?
私は「人生の夏休み」は死んだ後だと思っている。それほどに生きることは、休みのない期間である、としか思えない。
そうは言えど今この瞬間に、ここ最近の夏について思いを巡らす。
衣食住がままならなかった夏もあれば、勉強に勤しんだ夏もある。夏の闇夜は美しい。それを知ったのは少し落ち着いたあたりの夏。
「目の前のことに一生懸命になれない」のが私の性である。要は、昔のことや先のことばかり考えて、「今」は忘却の内に存する。私にとって「夏」もそのようなものである。
でも一つだけ、「今」を生きた「夏」があった。
水面で何にもに抗わずに流れるあめんぼのように、何もかもが分離したある夏に、私はどうしても木に捕まりたくて、一人の人間を頼ってしまった。
私は新たに、何にも抗わがないあめんぼになるために、水面上の航海に出たが、一瞬、あの木に捕まってしまったことは私の終わりであって、不幸であり、そして最大に幸福だった。
今も木に捕まってたら私は不幸だったはず。でも離れたらとても幸福だったことに気付いた。
こうやって今も、「過去」を生きている。私にとって夏はまだ来ないかもしれない。死んでも。