持て余した霊感を使い果たすブログ

私が私の物語を創るように、あなたにもあなたの物語ができますように。苦しみも喜びもひっくるめて世界は美しいかもしれない!

霊感とメール

「パッポン!」と携帯が鳴る。メールである。

同じ音、同じリズム、それにも関わらず、

「この連絡は何かある(重要なお知らせだ!)」

「この連絡は宣伝メールだな!」と分かってしまう。

 

だから何かしらの合否等の連絡がそろそろ来るだろうという時期は、

気が気でない。

 

来るぞ、来るぞ、来るぞ、、、

キターーーーーーーーーーーーーーーーーーー( ;∀;)

となる。

 

 

もう一個とても不思議なことがある。

「あの人最近何してるかな~?」「あの人懐かし~~!」

と思った途端にその人から連絡がくるケースである。

 

あれは先に決まっていたから感知したのか、

思ったから相手にピーーーーーンと伝わってしまったのかは謎なまま。

 

でもとどのつまり、そのような地味な霊感は、

人間に対する深い深い興味と関心からくるもの、

それがしっかりと理解できていれば愛みたいなものとなり、

理解できていないままだと境界線を越えすぎた興味関心となり、

体調不良になったりするのだという見解で止まっている。

 

あなたが持っている愛はすでに自身が痛むほどに与える愛、

その事実を俯瞰できれば、

いつかその痛みが相手の胸を、人生を揺るがす大きい感動になるはず。

 

 

 

私はHSPだ。

 

私はHSPだ。(highly sensitive person)

電車に乗れない。人の目が気になる。騒音が死ぬほどしんどい。

ずっと人といられない。

それ以上に、

他者の言葉、仕草、メールの文言、それらから、

相手のすべてを読み取れてしまう。(喜びの感情も苦しい感情も、悪意も恋心も)

 

金縛り、特定の場所での体調不良。

 

 

自分の好きなことや、

美味しい、嬉しい、快い、と思えるものを特定できない。

特に決まったことに固執することもなく、こだわりもない。

圧倒的に受動的であり、受動的であることでしか命を守れなかった人が多いように思う。

 

親の顔色、先生の言葉、友人の押し付け、世間の一般概念。

そういうものを(タイミングの問題で)ぎゅっと押しつけられた人が多いようにも思う。

 

痛い、苦しい、孤独、辛い。そんな感情に縛られてきたからこそ、

同じような人の痛みにうーーーーーーんと寄り添えてしまうのもこのHSP

寄り添えることは素敵なことだが、境界線も引けず、

他人の苦しみと自分の苦しみを一緒くたにしてしまう。

 

確固たる「自分」を見つける時間が少なすぎたのだ。

確固たる「自分」を見つける力を他人に渡してしまったことが多すぎたのだ。

 

でも誰も自分を守ってくれることはなく(優しい言葉をいただくことはたくさんある)、

自分の生計を成り立たせてくれるわけでもなく、

自分の真心は簡単に消費される。

 

なんて救いがないんだろう。

なんて悲しくて苦しいんだろう。

浅い眠りのお昼寝から覚めた後の絶望感に何度打ちのめされればいいのだろう。

どれだけの薬を飲めば楽になるんだろう。

 

きっと一生背負わなければならないものだけど、

それに見合った覚悟と果敢さが備わっていることだけ信じて、

明日も生きていこう。

 

「辛いに一本足して幸せ」(それは書き方の問題じゃ)

「明けない夜は無い」(天体的にはね)、

辛かったら「一」持ってくる力も無いし、

夜は明けられてしまう方が苦しい時もある。

 

そういう自分の純粋な思いを、金魚すくいのように優しく掬ってあげたいと思う。

金魚すくいも金魚の魚権がない気がしてしんどいけど…)

 

 

敏感すぎて辛いということは間違ってないはずです。

自分が自分として感じている痛みを知ることから始めたいと思います。

 

ランプがある

良い人なんだけど、

笑顔が素敵だし、「愛」とか「絆」とかすごく大切にしてるし、

心の機微を打つような詩とかすごく読んで泣いてたりするし、

多様性とかを重んじて偏見なくそう的な活動とかしてたりするんだけど、

もう必ず良い人なんだけど、

私の中の気付かないランプが点いて

なんか怖いって思ってしまう人、

何だろう、あれ。

敵に回したらやばいという防衛本能。

 

何かしらのフォロワーとかの数がすごく多い。

霊感体質

今年のお盆は結構、辛い。

乗り越えるは、忍耐、気合い、自分を守る愛。

誰かの犠牲になってるまんまじゃ
自分が自分として生きてきた意味が分からなくなっちゃうから
自分のために闘う ための 霊感体質さ。



他人の痛みを知る企画

芸人さんたちが日頃自分が担当する芸や技(しかも体を張った結構辛いやつ)を、共演者と分かち合うために、それぞれの芸をシャッフルして日頃とは違うことを担当するって企画があった。


いつも世界中のお祭りに行ってる人


いつも世界中の珍・食品を食べてる人


いつも世界中の険しい山を登る人



それぞれの担当芸(?)を交換しあう企画だ。


それを見て、人間も前世・今生・来世と、こうやっていろんな経験をしていろんな人の気持ちを知りたいがために、体を入れ替えてでも誰かを理解したいんじゃないかな、と思った。


私の今持つ苦しみは、あなたが昔味わった苦しみかもしれないし、


あなたが今持つ苦しみは、私が昔経験した痛みかもしれない。


あなたを知りたいがために、わざわざ生まれて来るなんて。


....と思ったんです。

ふとした瞬間のあれ

昨日駅近くで、仕事帰りのサラリーマンが歩いていたのだが、その人が下を向いてふと上を向いた瞬間の顔が、昔好きだった人に似ていて、頭は思い出せなくて忘れていても、魂とかいわれる部分はしっかり覚えていて、久しぶりに息ができなくなるくらい苦しくなった。そんな夕方だった。

壁に小さな穴を見つけた。最近模様替えをしたばかりで、以前までは棚の影になって見えなかった白い壁に、シミにも見えるような穴があった。それは二つ並んでおり、左側が大きめ、右側がほぼ汚れのようなものだった。穴と言っても1mmにも満たない穴。


この穴を巡って思いは飛躍する。


まずは安全面の問題という現実的なものである。



今の世の中は危険が多い。盗聴の穴かもしれない。ここの「住人」の生活模様全般が見るためには、ちょうどこの付近に穴を開けるのが良い。



今日はいる。今日はいない。今日は早い。今日は遅い。今日は歌ってる。今日は洗濯干している。今日は読書をしている。又吉直樹のファンらしい。今日は笑ってる。今日は泣いている。今日も泣いている。今日も泣いている。泣いている。泣いている。むせている。




また、飛躍する。


次は過去の問題である。


前の前くらいにここに住んでいた男は売れないロッカーだった。


小さなライブハウスでまばらな客を前にド派手にロックを披露する虚しさをいつも酒で呑み込んでいた。


何処かも分からない飲み屋で出会った女を持ち帰ってきたこともある。持ち帰った自分が悪いが、そそくさと朝に帰る女にいつも腹を立てて、壁にメリケンサックで穴を開けていた。


その日もひどく、客は2人のライブの帰りに汚い飲み屋で飲んで、一人の女を持ち帰った。ただ、その女は他の女と違っていた。部屋に入るなり穴だらけの部屋を見て、泣いた。泣いて、どうしてこんな状態になったのか聴きたい、と乗り出した。嘘ではないその目にロッカーはこの「穴」の経緯を話す。


カーテンから光が差し込む頃にはロッカーも泣いていた。女の首から下がるひとつの十字架が朝日に照らされて光る。


この女はしばらくロッカーと過ごしたが三年経った日に「親元に帰らなければならない」と言ったまま戻らなくなった。ロッカーはその時、もうロッカーではなくてサラリーマンなんかになっていたけれど、再びあの時のように虚しくなった。ただ一人部屋に佇み、昔よく使ったメリケンサックを持ち出して壁に叩きつけようとしたが、初めてこの女性と会った時に見た彼女の涙と首から下げる十字架を、はっと思い出し、壁に強く打ち付けることができなかった。微量の力で付けられた穴は、今までで一番小さい穴だった。


その後、彼女が「しすたー」とかいう者になったと彼は聞くことになる。





穴への考えは再び飛躍する。


前の前の前に住んでいた住人は3人家族だった。生まれたての赤ん坊は、よく笑う快活な子供だった。


夫はある時、単身赴任になり、妻と子供だけになった。赤ん坊は泣く事にも快活で、夜泣きが止まらなかった。苦情が来る。旦那はいない。妻は孤独だった。


少し赤ん坊は大きくなると、首も座り、物を持てるようになった。子供が持つフォークは3本槍ではなく、プラスチックで出来た2本槍のものだった。快活な子供はその2本槍で壁を刺した。「敷金....」と妻は思ったが、微笑ましかった。それを写メにして夫に送る。夫が喜びの返事をする。子供が2歳半になった時の話である。


おばあさんになった妻は、今は一人で暮らしている。子どもは立派な大人になり、新たな命を育んでいる。つまりは孫ができた。しかし夫は数年前に病で亡くなった。しかし妻は壁にあるあの穴を見るたびに、夫と出会い、子どもを授かり、立派な家庭を築いたことを誇りに思った。妻は全く孤独ではなかった。数十年前に開けられた穴は、このおばあさんに「一人ではないこと」を教える。


....



私の考えは飛躍したあとに元の地点に戻ってきた。


今この部屋に住んでいるのは私。その私はこの穴の上に小さなシールを貼る。


この穴から覗く誰かのことを思うと、くっと胸が苦しくなった。


もう既にこの穴は、私の頭の中では、多くの人の穴、多くの人の「心」になっている。





飛躍しすぎ。